大人

最近大人について考えています。恭平です。

結局大人っていうのは、日本では20歳で、イギリスでは18歳で、プエルトリコでは14歳で、法律に基づいて、なるものであって、概念としての「大人」なんてものは存在し得ないんじゃないでしょうか。だから「もっと大人になりなさい」なんていう表現はおかしいんですよ実は。

そういう時の「大人」っていうのはつまり「普通の大人のような人」のことであって、だから「もっと大人になりなさい」っていうのは「もっと普通になりなさい」って言われているのと同じことなんだ。でもじゃあ今度は「普通」ってなんじゃいこら、という話になってくる。その答えは「大多数派」だと思います。世の中をよく観察してみると、別に正論が正しいことにはなっていない。大多数派が正しいことになっている。

「大多数の人たちのような人が普通の人」っていうのは一見わかるような気もするけど、実は「同じことを考えている人間」なんて二人といないんだから、それもまた幻想なんですよ実は。同じでないものを同じということにしてとりあえずやっていくのが世の中なんですよ。だから不完全な、わけのわからない法律や約束事や「常識」も、割り切って守っていくのが無難に生きるコツなんだと思います。

この流れで無難という言葉を使ったけど、僕は別に無難反対主義ではないです。難を逃れるのはけして悪いことではない。むしろできるだけ難なんてない方がいいと思う。ただ、守るべきものごとや常識っていうのはあくまでもスムーズに生活するための手段であって、それが目的ではない、ということはわかっておいた方がいいってことです。無難に生きることが生きる目的、というのは矛盾しているから。

って、まあ、そんなことみんな、わざわざ言葉にしないだけで、わかってるんだと思うけど。みんな自分の色んなものと色んなものを天秤にかけて生きていってるわけですからねえ。みなさんはどう思いますか。