NYで俳優であるということ

こんにちは。恭平です。

NY。世界で一番優しく、世界で一番厳しい場所。金持ちだろうと貧乏だろうと、黒人だろうと足がなかろうと、優しいこの街には誰にでも居場所があります。でも厳しいこの街、気が付くとその自分の居場所がストリートだったり公園のベンチの下だったりするわけです。でも、あくまでも自分の居場所があるというのは素晴らしいことだと思いませんか?可能性がある街。

フランク・シナトラは歌っています、"(チャッチャッチャーララ・チャッチャッチャーララ・チャッチャッチャーラララー・)If I can make it there, I'll make it anywhere. It's upto you, New York, New York."。そこでやってけるならどこででもやっていけるさ、全てはお前次第、ニューヨーク・ニューヨーク。そういうNYで俳優であるとはどういうことなのか?

今日からしばらくはNYで俳優であるということについて考えてみたいと思います。まず今回は、オーディションについてその1。

俳優業をやることを考えた時も、やはりこの街はどこまでもフェアだと思います。演技力にしても歌唱力にしても行動力にしても、基本的には自分自身の努力と力量にかかっているからです。というのは、オフ・オフ・ブロードウェー、オフ・ブロードウェーブロードウェーと、規模に限らずほとんどのプロダクションにおいてオーディションによるキャスティングが行われるのです。だから頑張りや実力次第で、誰にでも公平なチャンスがあるというわけです。

週一回木曜日に発刊される俳優のオーディション情報紙”Back Stage”には、そういった大小さまざまのオーディション情報が無数に掲載されています。そういった情報紙や情報誌は他にもごまんとあって、俳優たちは目を皿のようにしてそれらを読みふけり、自分が受けられそうなオーディションに赤丸をつけていきます。ストレート・プレイ、ミュージカル、映画、コマーシャル、コメディ・ショー。これらの仕事と少なくとも僕は繋がってはいるんだ、と思うとわくわくしてきませんか?

とはいえ、誰でもどんなオーディションでも受けられるかというとそういうわけでもなく、そこには多少の制約があったりもします。まず大きいのがユニオン所属かどうか。ユニオンというのは俳優の組合のことで、一定のキャリアがある俳優しかユニオンに入ることができません。オンブロードウェーの多くのプロダクションはユニオンアクターのみでオーディションを行います。足切りのようなものですね。だから、もしあなたが駆け出しの俳優なら、まずは小さいプロダクションからキャリアを積んでユニオンに入るのが先決だといえるでしょう。

また、人種の坩堝であるこの国では、日本ではあまり起こりえない人種による制限というのも多くあります。「白人男性」「黒人女性」「アジアン」という具合でオーディション情報に明記されています。これは差別というよりは単純な区別であると言えるでしょう。歴然と違いがあるわけですから、描きたいものによっては白人では絶対にダメなのだ、ということも当然起こるのです。そうでない場合は、”All Ethnicity”、人種問わず、なんて記載されています。日本人の俳優の卵なんかはだから「アジアン」と「人種問わず」に赤丸をつけまくるわけです。

こんな地味な作業が、華やかな大舞台の陰で行われているのです。

次回も引き続きオーディションについて。